もろずみヒストリー

history

・1962年 八王子の地場産業である織物業の家の長男に生まれる

ネクタイなどを製造する家で、機織りの女性たちに囲まれて可愛がられながら育ちまし
た。将来はなんとなく家業を継ぐものと思い、反物を丸める真似などをしていました。
しかし、織物業の衰退で小学校低学年の時に工場が閉鎖。その後、実家では、電子部品
製造業などを行いました。

3 幼少期写真


・地元の八王子市立第2小学校・第4中学校を卒業

坊主刈りの剽軽で人を笑わすのが大好きな子どもでした。
小学生の頃は、ランドセルを家に放り込むと友達と毎日遅くまで田んぼでザリガニや蛙をとったり、高尾山に自転車でサワガニを取りに行ったり、雑木林の秘密の基地で遊んだりしていました。小学5年生の時に、ひよどり山の雑木林でターザンごっこをしていて、ロープが切れ崖から転落、腕を骨折して1か月間入院生活を送りました。中学では、バドミントン部に所属していました。成績は、まあ良かった方でした。このころから歴史や社会の仕組みに興味を持ち始めました。

中学校写真 前列左から3番目
前列左から3番目


・東京都立府中西高校卒業

父親が中学のPTA会長をしているのが嫌で、八王子市外の高校に進学(高校も八王子だとPTA会長になりそうだったので、、、)
高校では水泳部に所属していました。平泳ぎが専門で、あまり速くはなかったです。
一方で長距離走が得意で、校内ロードレース大会では選抜選手として毎年上位入賞していました。

高校水泳部写真 前列右から2番目
前列右から2番目


・1985年 明治大学政治経済学部政治学科卒業

「なぜ、日本はペチョんペチョんになるまで負けるような愚かな戦争をしてしまったのだろう?」という疑問を胸に大学は政治学科へ。政治への興味が膨らみ日本政治史のゼミに所属しました。将来は営利よりも直接社会の役に立つ非営利の公共的な仕事に就きたと考えるようになりました。大学時代は様々なアルバイトをし、海外を見て歩きました。また、友達と語り明かし、旅行に行ったりと青春を謳歌しました。

大学ゼミ写真 前列右から2番目
前列右から2番目


・八王子市役所に就職

地元、八王子市役所に就職。教育委員会で学校施設整備の仕事に携わり基礎自治体の現場を経験しました(当時、八王子市は人口が増え、特に多摩ニュータウン地域などで学校の建設に追われていました。補助金や起債の申請、公共事業の進め方、市と都・国との関係などを学びました)。


・横浜市役所に転職

より広い視点から地方自治の世界を見てみたいと思い、都道府県機能と市機能を併せ持つ全国最大の市であり、先進的な行政展開をしていた横浜市を再受験。3年間の八王子市の仕事に別れを告げました。
横浜市では、道路の土地収用にかかわる業務(土地収用法に基づく裁決申請手続きなど)に携わりました。当時はバブル経済で地価が高騰し用地取得が大変な時期でした。その後、道路関係の政令指定都市局長級会議(参加150人規模)を担当し、オープンしたての横浜ランドマークタワーで2日間の会議を無事開催できたことが苦労とともに良い思い出として残っています。


・1996年 埼玉大学大学院政策科学研究科を修了。公共政策修士号を取得

31歳で横浜市係長昇任試験に合格し、埼玉大学大学院政策科学研究科に入学し2年間の研修派遣生活を送りました。修士論文は大都市の都市内分権を扱い、区役所機能の強化について研究しました。大学院では、政策についての視野が広がるとともに各省庁や都道府県等の派遣学生と机を並べ、いまでも交流する多くの師と友人を得ました。

大学院
前列左


・横浜市企画調整係長として活躍

院修了後、横浜市の企画調整係長として、区政の総合調整と計画づくりなどに携わりました。市民とのパートナーシップ事業を企画推進し、住民の方と直接接し、また行政内外の調整をするなど政令市横浜市での経験は、その後の議員活動にも大変に役立っています。


・1998年 翌年の八王子市議会議員選挙に向けて10年間勤務した横浜市を退職

横浜市での10年間は様々経験を積むことができたと同時に上司、先輩、同僚に恵まれ、ほんとうに楽しく有意義な時間を過ごすことができました。退職にあたり、「政治の立場から横浜市と八王子市との懸け橋となる」と挨拶しました。今でもその思いは変わっておらず、横浜は私にとって第2の故郷です。ちなみに、当時、通勤に利用していた横浜線の不便さやラッシュの状況が身に沁み、横浜線の環境改善はその時からのライフワークとなりました。


・1999年 八王子市議会議員選挙に立候補し初当選

横浜市で取組んできた市民参加や情報公開を政策の柱に掲げて完全無所属での初挑戦で 4,240票を得票し18位/53人で当選しました。選挙戦を含む半年間で体重が10kg減りました(65kg → 55kg)。
当選後、八王子市議会都市建設委員会副委員長に就任し、1期目は、議員提案条例の提出を目標に活動し「環境基本条例案」を作成しました。また、若者の声を政治に反映すべくインターンシップの大学生の受け入れをはじめました。さらに、尾崎行雄記念財団の「咢堂塾」に参加し、全国の塾生との議論・交流を通じて政治や社会的なできごとに対する様々な見方があることを学びました。

咢堂塾
咢堂塾講義風景


・2003年 自民党に入党し、八王子市議会議員選挙で2期目の当選

2002年末に自民党に入党し、行財政改革や議会改革を訴え、19位/49人で当選しました。
2期目は、これまで永きにわたり見直されてこなかった市議会の特別委員会改革を主導。
その結果設置された、少子・高齢化対策特別委員会の委員長に就任し、少子化対策や高齢化対策に取組みました。

また、市内の追分交差点(国道・都道・市道が交差する5差路で市内交通の要衝。2本の老朽化した歩道橋が掛かっている)について、お年寄りやベビーカー利用のお母さんたちからの「何とかして欲しい」との声を受け、インターン学生とともに3000通に及ぶアンケートを作成・実施し、その実態と利用者の声を調査しました。その後、地域やPTAの方々、建設省(当時)相武国道事務所、東京都南多摩西部建設事務所、八王子市、八王子警察、バス事業者に声を掛けて「追分交通問題協議会」を設立して、運営の事務局を担いました。約2年間にわたり勉強会やワークショップを実施し、協議会としての改善案を作成、事業主体となる国土交通省に提案しました。ほぼそれらが生きた形で皆さん声を集約した追分歩道橋は2016年秋には架け替えが完了する予定です。詳細のPDFはこちら

追分交通問題協議会 (2)
追分交通問題協議会ワークショップ


・2007年 八王子市議会議員選挙で3期目の当選

引き続き、行財政改革や議会改革を訴え「市民本位の現場主義」を掲げ3期目の市議選を戦い、4,821票を得票し13位/49人で当選しました。その後、八王子市監査委員に就任。監査を通じて市政全般を隅々まで見ることで、市の課題や対応をより広く・深く理解することとなりました。特に建築士など専門家による指摘は勉強になりました。


・2007年 市長選の現職推薦に反対の態度を表明し、所属していた自民党を離党

当時の市長の親族企業が市公共事業を異常に多く受注していた状況などを受け、翌年実施予定の八王子市長選挙では、これまで支援してきた3期目を目指す現職市長の推薦はできないと態度表明をしました。これにより現職を推す自民党を離党することとなり、無所属議員となりました。その後、当時の市長親族企業の市発注公共事業受注が2年連続最多であることを異常な事態として、公正・公平な市政実現に向けて「八王子市政治倫理条例」の制定を目指す議員の会に参加し、条例制定運動に積極的に関わり行動しました。
連日報道がなされ、市民を巻き込んだ10か月の条例制定運動は、当時の市長を守る勢力が対案として出した「骨抜き」条例案が成立し、運動は挫折しました。

政治倫理条例 市議会本会議で質問に立つ
市議会本会議場で政治倫理条例案の質問に和装で立つ

記事
当時の新聞報道


・2009年 超党派の議員に推され八王子市議会副議長に就任

副議長としての姉妹都市との交流や各種団体との対応などを通じ、より広い視野で市政を見る機会を得、議員としての幅が広がりました。また、八王子市議会基本条例等検討会座長に就任し、基本条例制定に向けたとりまとめに尽力しました。

12 市議会副議長席で
副議長として執務中


・2011年 八王子市議会議員選挙で4期目の当選

完全無所属に戻り、支援組織・団体がほぼゼロの状態で4期目の選挙に挑戦しました。これまでの活動と立ち位置が大きく変わったこと(所属政党を離党し、選挙基盤を共有する市長を糾弾する政治倫理条例制定運動に取組んだ)を市民・有権者に審判していただく「信を問う」という厳粛な気持ちで選挙戦に臨みました。
東日本大震災後の震災ムードの中の選挙戦では、自らの思いをマイク1本で訴えて回る運動を展開しました。結果は5,850票を得票し4位/54人、無所属候補中トップで当選することができました。


・2011年「地域再生、八王子からの挑戦」(2011年・開発社)を出版

これまでの地方の政治・行政の現場で感じた事、矛盾、地方自治の在り方や八王子の将来についての思いを出版という形で世に問いました。また、11月に出版記念パーティを開催し、翌年1月実施の八王子市長選挙への出馬を表明しました。

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出版記念パーティー
 


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・2012年 八王子市長選挙出馬。

62,673票(惜敗率84.4%)を得るも落選
永年温めてきた市政への思いを胸に1月の八王子市長選挙に出馬しました。結果は、あと一歩のところでの惜敗でしたが、勝負の厳しさを身をもって知ることとなりました。

[選挙結果]

石森たかゆき(前市長の後継指名、自民党、連合推薦) 74,273票
両角みのる(みんなの党推薦) 62,673票
峯岸ますお (共産党推薦) 17,619票

組合や各種団体からの推薦状に埋め尽くされた前職指名候補と地域の方々とボランティアに支えられた両角陣営では、組織力の差は圧倒的で「桶狭間の戦い」のようなものでしたが、市民の良識の勝利を疑っていなかっただけに敗戦はショックなものでした。


・2012年 国立大学法人政策研究大学院大学 後期博士課程に入学

落選中に訪れた千葉県の佐原で50歳を過ぎて年下の師に弟子入りし、新しい学問に取組み、55歳から71歳まで日本全国を測量して回り「大日本沿海輿地全図」を完成させた江戸時代の人、伊能忠敬の生き方に触れ、感銘を受けました(悲しいことに、その時は、金欠により佐原で大好きなウナギを食べることは叶いませんでした)。
そして、これまでの行政や政治の現場での経験を踏まえて、改めて自治体の政策決定過程と政治の果たす役割について研究を始めたいと思い大学院を受験しました。
暗中模索、50歳の大学院生の誕生です。

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50歳にして門を叩いた東京六本木の政策研究大学院大学


・2012年12月 東京都議会議員補欠選挙に出馬。

93,607票(惜敗率81.2%)を得るも惜敗
衆議院解散総選挙と同日に行われた東京都議会議員補欠選挙(八王子選挙区)に完全無所属で挑戦しました。支援組織・団体、政党看板等、全く無いなかでの戦いでしたが、最後まで仲間たちが支えてくれました。この後、選挙に次ぐ選挙で大学院の方が、かなり疎かになってしまいました。

[選挙結果]

近藤みつる(自民党公認) 114,431票
両角みのる(無所属 推薦等無) 93,607票
市川かつひろ(共産党公認) 42,195票

・2013年 東京都議会議員選挙で当選

6月に実施された東京都議会議員選挙にみんなの党公認で出馬し21,864を得票。
5位/8人で当選することができました。

この間、2007年に自民党を離党して以来6年近く、自らの信念に従ってきたとは言え、苦しい立ち位置で厳しい政治生活を送ってきました。

2011年4月の4期目の市議選以降は、翌2012年1月に市長選、同年12月に都議会議員補欠選挙、さらに2013年6月に都議会議員選挙と、ほぼ2年の間に4回の選挙を戦い(6か月ごとに選挙を4回戦ったことに! しかも、ほぼすべての選挙で組織的支援ゼロ!)、家族にも大変な思いをさせてきました。

特に当時、中学生・高校生であった子ども達と妻には心配と苦労を掛け続けてきました。
この間、このような私に手弁当で最後まで離れることなく支援をしてくれた方々や仲間がいたからこそと、感謝の気持ちを深く胸に刻みました。

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渡辺代表(当時)と該当演説


・都議会でみんなの党の幹事長に就任

当選後、都議会では、4名の会派みんなの党Tokyoを結成し、幹事長に就任。2年間にわたり会派のとりまとめにあたりました。

会派で打合せ
都の職員から会派で事業説明を受ける


都議会では、総務委員会(委員)、警察・消防委員会(理事)、厚生委員会(副委員長)、オリンピック・パラリンピック推進対策特別委員会(委員)、一般財団法人オリンピック・パラリンピック組織委員会顧問等を歴任。各委員会や本会議での一般質問、文書質問等で積極的に発言を続けています。また、東京都都市計画審議会委員、東京都都市づくり公社評議員、東京都住宅政策審議会委員などを歴任するほか、東京都議会ワールドカップ2019日本大会成功議員連盟(理事)、東京都議会防衛議員連盟、東京都議会芸術文化振興議員連盟、東京都議会防災都市づくり推進議員連盟などに所属しています。

この間、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会誘致に取組むとともに行財政改革の徹底や議会改革、少子化対策・高齢化対策、多摩地域の課題解決に向け、様々な切り口で積極的に質問と提案を行っています。

オリンピック決定報告会
2020年オリンピック招致決定都民報告会(後列左から1番目)


・2013年12月 猪瀬知事の5,000万円受領問題で質問

2013年末には、猪瀬知事(当時)に5000万円受領問題が浮上し、総務委員会を主戦場として集中審議が行われました。この委員会メンバーとして質疑に臨みました。委員会は知事追及・吊し上げの法廷のような様相を呈しており、その結果、知事は自らの思いを語ることがほとんどありませんでしたが、私の「史上空前の得票を得て都民の信を得た知事が求心力をもって今後も都政運営にあたるためには、職を辞して、もう一度都民に信を問う道もあるのではないか?」との質問に「そういうことも一つのあり方かもしれない」との答弁がなされ、知事が進退に触れた発言としてNHKニュースや新聞報道等で大きく取り上げられました。

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総務委員会で知事に質問

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猪瀬知事(当時)への質問について、テレビの取材を受ける


・2014年6月 都議会ヤジ問題が発生。会派幹事長として対応にあたる

都議会定例会の本会議一般質問中にみんなの党Tokyo(当時)の塩村あやか議員に対し卑劣なセクハラヤジが浴びせられると
いう事態が発生しました。騒然として緩み切った雰囲気の議場は笑い声が漏れ、次から次へと浴びせられるヤジと怒号はとても言論の府と呼べるようなものではありませんでした。私は会派幹事長としてヤジを発したと思われる議員の席がある自民党の幹事長に厳重抗議。その後、この都議会ヤジ問題は地方議会の在り方を問う社会問題として連日マスコミにお取り上げられ、全国に大きな波紋を広げました。

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セクハラヤジ問題で陳謝を受ける塩村議員


そして、この日からほぼ、2か月間、連日にわたり会派の電話は鳴りっぱなし、賛否のメールとFAXが全国から届き、マスコミ対応に追われる、まさに嵐のような季節を過ごすこととなりました。
マスコミに対しては「2020年大会を控える首都の議会として誠に恥ずかしい」とのコメントをしました。

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セクハラヤジ問題でマスコミの取材を受ける


・2014年11月 所属する「みんなの党」が消滅し、再び無所属となる

年末に行われることとなった衆議院解散総選挙を前に みんなの党内部の路線対立が激化し、前代未聞のことですが政党が消滅してしまいました。この間、私たち地方議員は事情も良くわからずに完全に蚊帳の外に置かれました。
政党の解散にあたっては、今後の支給分も含め20億円近い政党交付金を国庫に戻すこととなったのも前例のないことでした(これまでの解党劇では、政党交付金を引き継ぐことが行われていました)。
第3極政党として、一時期は強い輝きを放ち存在感を示していた政党の終焉は実にあっけないものでした。この間、知らないうちに党内政治抗争の派閥争いに組み込まれ思い悩むこともありましたが、チャンスと活躍の場を与えてくれた所属政党が消滅したことにより、不本意ながら再び無所属となりました。


・2015年 費用弁償見直し条例案づくりを主導し他会派と共同で議員提案

都議会第二定例会(2月)に都議会議員が本会議等に出席すると1日10,000円(区部以外は12,000円)支払われる費用弁償の見直しを求めて、条例改正案を作成し、他会派と共同で議員提案条例として提案しました。
これまで私たちは、議会改革の一環として都民の理解を得られないような現行の「費用弁償」の見直しをことあるごとに訴えてきましたが、具体的な条例提案という形で問題提起し、マスコミでも全国地方議会のこの問題が大きく取り上げられることになりました。
しかしながら、費用弁償見直しに慎重(反対)の会派により、採決に至らず、継続審査の扱いとなっており、現在は「議会の在り方検討会」で検討することとされています。

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費用弁償見直し条例案について記者会見
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2015年3月27日 毎日新聞


・2016年 DMATカーの活用見直しを実現

都内指定25病院に配備されている高額なDMATカーの活用実態を議会の場で再三指摘・質問。適正な運用と日常利活用を図るよう提粘り強く取組んできた結果、新たな指針による弾力的な運用が実現されました。

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2015年4月24日号 週刊FRIDAY


・2016年7月

公私混同問題で辞職した舛添要一氏の後任を決める知事選で、その政治姿勢に共鳴し、いち早く小池百合子候補支持を表明。18日間の熱い選挙戦を候補とともに走り抜ける。

八王子駅街頭
八王子駅での街頭演説

小池百合子候補と日の出町を遊説
「ゆりこグリーン」のゴーヤを手に


・2016年8月

激戦を制し、政党や特定団体の支持によらない圧倒的多数の民意を得た小池都知事の初登庁を誰よりも早く、一番最初に迎える(都議会議員127人中、知事の初登庁を出迎えたのは、たった3人の当時のかがやけTokyoのメンバーのみだった)。議会の場から「都民ファーストの都政」、「東京大改革」 を進める。

初登庁する知事を迎える
初登庁する知事を迎える
初登庁する知事を迎える

知事室でかがやけTokyoメンバーと
知事室でかがやけTokyoメンバーと



2016年11月
オリンパスホールで開催された両角みのる都政報告会に小池知事が駆けつけ
「もろずみさんは、三多摩のファースト・ペンギン」と紹介される。

penngin
*ファーストペンギン:群れの中で勇気を持って、一番最初に海に飛び込むペンギン。転じて、リスクを恐れず勇気を持って新しいことにチャレンジする人のことを言う。


・2017年1月
都民ファーストの会東京都議団が設立される(かがやけTokyoから名称変更)
その後、メンバーは3人から5人に


・2017年1月
地域政党「都民ファーストの会」が次期都議選に向けた第1次公認を発表。
都議会「かがやけTokyo」の3人(両角穣、上田令子、音喜多駿)と豊島区議会議員本橋弘隆が次期都議選に向けた公認候補に。


2017年3月
都民ファーストの会として初の都議会予算委員会質問を行なう。